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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)6244号 判決 1998年9月07日

原告

藤岡茂

右訴訟代理人弁護士

藤木邦顕

細見茂

被告

関西定温運輸有限会社

右代表者代表取締役

八尋國隆

右訴訟代理人弁護士

荒木邦一

田辺宜克

安武雄一郎

主文

一  原告が、平成一三年一二月一七日まで被告の従業員(正社員)の地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、二四五万一七〇六円を支払え。

三  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  原告が被告に対し平成一三年一二月一七日まで被告の正社員の地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、六〇〇万円を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の従業員であった原告が、被告に対し、五五歳定年制の導入は労働条件の不利益変更にあたり無効であるとして、引き続き六〇歳まで被告の正社員の地位にあることの確認及び五五歳で嘱託雇用とされたことによる賃金低下分の支払を求めるとともに、五年間フルトレーラーに乗務させる旨の契約が成立していたにもかかわらず、途中で乗務を打ち切られたとして、債務不履行に基づく損害賠償請求として賃金の目減り分の支払を求めた事案である。

一  前提となる事実―当事者間に争いのない事実並びに証拠(<証拠・人証略>、原告本人)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実

1  原告は、昭和五〇年ころ、被告(ただし、当時の商号は大昭運送有限会社である。)に雇用され、以後トラック運転手として被告に勤務している。

2  被告は、昭和五八年ころ経営難に陥り、元請企業であった福岡運輸株式会社(以下「福岡運輸」という。)の支援を受けて再建され、昭和五九年六月一五日、商号を関西定温運輸有限会社と改めた。

また、同年八月二三日付けで就業規則(以下「旧規則」という。)が作成され、同日西宮労働基準監督署に届け出られた。旧規則には、乗務員の定年を満五〇歳とする旨の規定がある(なお、旧規則の有効性については争いがある。)。

3  平成三年末ころ、原告は、フルトレーラー免許(牽引免許)を取得し、平成四年二月ころから、もっぱらフルトレーラーにのみ乗務するようになった。しかしながら、被告は、平成七年七月一日から、原告の乗務する車種をフルトレーラーから大型トラックに変更した。

4  被告は、平成七年七月一日、定年を満五五歳とする就業規則(以下「新規則」という。)を作成した(なお、新規則の有効性については争いがある。)。原告は、昭和一六年一二月一七日生まれで、平成八年一二月一七日に満五五歳になるところ、同月一日付けで、被告との間で嘱託雇用契約(以下「本件嘱託雇用契約」という。)を締結した。

二  原告の主張

1  平成七年七月一日以前の定年の定めについて

(一) 定年は六〇歳であった(主位的主張)。

被告は、昭和五八年ころ福岡運輸の支援を受けて再建された際、従業員との間で、定年を含む労働条件について、すべて福岡運輸の労働条件に準ずるものとする旨合意した。具体的には、被告の代表取締役木村裕直(以下「木村」という。)と従業員の第二回目協議の際、木村が、「今後の労働条件についてはすべて福岡運輸の労働条件に準じる。」と発言した。そして、それ以降、福岡運輸の就業規則の推移に従って被告の労働条件も変更され、平成四年に福岡運輸の定年が六〇歳とされたのに伴い、被告においても、定年は六〇歳となった。

なお、旧規則は、作成されたことを原告ら従業員は全く聞いておらず、従業員代表柏谷瑞夫(以下「柏谷」という。)の同意書も被告が勝手に作成したものであり、全く周知の方法も講じられていなかったから、効力を有しない。

(二) 定年制は存在しなかった(予備的主張)。

仮に、被告の労働条件を福岡運輸の労働条件に準ずるものとする旨の合意が認められなくとも、旧規則は、前記のとおり効力を有しないから、原告と被告との間では、定年の定めは存在しなかったというべきである。

2  新規則の効力について

(一) 被告は、平成七年七月一日付けで新規則を作成し、五五歳定年制を定めたが、右規則は、従業員に対する周知措置が全く取られていないから、効力を有しない。

(二) 仮に、新規則が一般的には効力を有するとしても、五五歳定年制の導入は、従前の労働条件を不利益に変更するものであるから、これに同意しない原告に適用することはできない。なお、原告は、本件嘱託雇用契約を締結したが、これは、解雇されて身分を失うのを防ぐため、異議をとどめつつなしたものであり、定年による退職を承諾したものではない。

3  フルトレーラー乗務契約の締結及び被告の債務不履行

原告は、被告の指名により、平成四年二月までにフルトレーラー免許を取得し、フルトレーラーに乗務するようになったが、このとき、被告は、原告を五年間フルトレーラー乗務員として就労させる旨約束した。

しかしながら、被告は、平成七年七月、右約束に違反し、原告を一般貨物自動車乗務に変更した。なお、被告がフルトレーラー部門を廃止した事実はない。

4  未払賃金及び損害

(一) 未払賃金

原告は、嘱託雇用とされる前である平成八年八月から一〇月までの間、月額平均四七万四八四七円の給与の支払を受けていたが、嘱託雇用とされたことにより、平成九年一月から同年一〇月までの間に正社員として受けるべき給与のうち、別紙1<略>「生じた差額」欄記載の合計二四五万二七六六円の支払を受けていない。

(二) フルトレーラー乗務契約の債務不履行による損害

原告は、フルトレーラーに乗務していた平成七年四月から六月までの間、月額平均七二万二九一五円の給与の支払を受けていたが、フルトレーラー乗務を解除されたことにより、同年七月から平成八年一一月までの間、別紙2<略>「生じた差額」欄記載の合計三九九万三三四〇円の損害を被った。

5  まとめ

以上のとおりであるから、原告は、少なくとも、六〇歳に達する平成一三年一二月一七日まで被告の正社員としての地位を有するから、その確認を求めるとともに、被告に対し、嘱託雇用とされたことによる平成九年一月分から同年一〇月分までの未払賃金二四五万二七六六円及びフルトレーラー乗務契約の債務不履行による損害賠償として賃金差額三九九万三三四〇円の合計六四四万六一〇六円の内金六〇〇万円の支払を求める。

三  被告の主張

1  平成七年七月一日以前の定年の定めについて

(一) 被告においては、昭和五九年八月二三日付けで旧規則が作成され、乗務員の定年が満五〇歳(他は満五五歳)と定められた。このとき、原告を含む従業員は、何ら異議を述べておらず、従業員代表の柏谷が同意書に署名している。また、旧規則は制定と同時に会社事務所のソファの後ろ上部に吊していつでも閲覧することができるようになっていた。さらに、被告に労働組合が組織された平成四年以降、被告と労働組合の間では旧規則の存在を前提に定年を含め団交・協議が繰り返されてきた。

したがって、旧規則が効力を有することは明らかである。

(二) その後、被告は、乗務員の定年も満五五歳とし、右旧規則の該当個所に鉛筆書きで訂正して使用していたが、平成七年七月一日、正式に乗務員の定年を満五五歳とする就業規則(新規則)を作成して届け出た。このときも、労働組合から定年制については何らの異議も出されなかった。

したがって、新規則の制定は何ら労働条件を不利益に変更するものではなく、現在、被告における乗務員の定年は満五五歳である。

(三) なお、昭和五九年ころに、定年を含む被告の労働条件についてすべて福岡運輸の労働条件に準ずるものと合意した事実はない。被告が福岡運輸の支援を受けて再建されたときには、もっぱら賃金体系をそれまでの償却制からリース制に変更することについて協議が行われ、定年の定めについて協議されたことはなかった。

2  退職の承諾

原告は、被告との間で、定年退職を前提として、平成八年一二月一日付けで期間六か月の本件嘱託雇用契約を締結し、平成九年七月一日には、再度同年一二月三一日までの嘱託雇用契約を締結した。

したがって、原告は、五五歳で退職することを承諾していた。

3  フルトレーラー乗務契約について

被告は、原告との間で、原告を五年間フルトレーラーに乗務させる旨の合意をしたことはない。また、平成七年七月原告を大型車乗務に移(ママ)動させた際、原告はこれを異議なく承諾した。

なお、被告が原告を大型車乗務に移(ママ)動させたのは、フルトレーラー部門が赤字で採算割れするため、被告のフルトレーラー運行部門そのものを廃止したことによる。

四  主たる争点

1  平成七年七月一日以前の被告における定年の定めの内容はどのようなものであったか(昭和五九年ころ定年を福岡運輸と同一にするとの合意があったか否か。また、そのころ作成された旧規則が効力を有するか。)。

2  原告を五年間フルトレーラーに乗務させる旨の契約があったか否か。

3  本件嘱託雇用契約により、原告が定年退職することを承諾したといえるか。

第三争点に対する当裁判所の判断

一  争点1について

1  原告は、被告が昭和五八年ころ福岡運輸の支援を受けて再建されたとき、被告と従業員との間で、定年を含む労働条件につき、全て福岡運輸に準じた取扱いをする旨の合意が成立したと主張する。

そして、証拠(<人証略>、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和五八年ころ福岡運輸の支援を受けて再建された際、従来はいわゆる償却制であった従業員の賃金体系がいわゆるリース制に改められたこと、被告代表取締役の木村は、昭和五八年秋ころ、福岡運輸による再建に伴う従業員の労働条件等の変更について全従業員に説明し、その際、償却制を廃止してリース制に移行すること、積立金を払い戻すこと、仕事の内容が福岡運輸に準じた内容になること等を説明したことが認められるが、それ以上に、定年を含む労働条件につき全て福岡運輸に準じた取扱いをする旨の説明をしたとは認められず、他に定年を含む労働条件につき全て福岡運輸に準じた取扱いをする旨の合意が成立したことを認めるに足りる証拠はない。かえって、右各証拠によれば、福岡運輸と被告とでは、賃金の額、支払方法等にも相当な違いがあり、必ずしも労働条件が同一でなかったことが認められるし、原告本人によっても、木村の説明は、仕事の内容が福岡運輸に準ずるものになるというものに過ぎなかったことが明らかであるから、定年を含む労働条件につき全て福岡運輸に準じた取扱いになるというのは、木村の説明を聞いた原告の憶測ないし期待に過ぎなかったものというべきである。

したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。

2  一方、被告は、昭和五九年八月に旧規則を作成し、乗務員の定年を満五〇歳と定め、その後事実上五五歳に引き上げて運用してきた旨主張し、旧規則には、乗務員の定年を満五〇歳とする旨の規定がある。

しかしながら、(証拠略)及び(人証略)の証言を総合すれば、旧規則は、従来被告においては労働基準監督署に届け出た就業規則が存在しなかったため、昭和五九年ころ、木村が福岡運輸からの出向社員と共同で作成し、届け出たものであるが、その作成については全く従業員に知らされなかったこと、届け出に際し添付された従業員代表柏谷の同意書も、木村において作成したものであること、実際にも、被告の従業員であった柏谷は、昭和五九年九月一八日に満五〇歳、平成元年九月一八日に満五五歳になったにもかかわらず、何ら定年退職の取扱いを受けなかったことが認められ、これらによれば、旧規則は、従業員に対して全く周知がされなかったものであり、かつ、実際にもそこに定められた定年制を前提とする運用は行われていなかったというべきであるから、旧規則による定年の定めはその効力を認めることができない。したがって、被告には、平成七年の新規則制定まで定年の定めはなかったというべきである。なお、労基法所定の周知方法が採られていないからといって、直ちに就業規則の効力を否定すべきではないが、使用者において内部的に作成し、従業員に対し全く周知されていない就業規則は、労働契約関係を規律する前提条件を全く欠くというべきであるから、その内容がその後の労使関係において反復継続して実施されるなどの特段の事情がない限り、効力を有しないというべきであり、右特段の事情があったと認めるに足りる証拠もない。

以上につき、(人証略)は、柏谷を従業員代表として就業規則を作成することは、当時の従業員に説明しており、同意書の署名も柏谷の眼前で行ったのであると証言する。しかしながら、右証言は、内容が不自然であるうえ、新規則制定時と異なって従業員代表選出に関する書類が存在しないことにも照らし、信用できない。また、同証人は、旧規則は乗務員の休憩所のソファーの上に吊しておいた旨証言するが、原告本人に照らし信用し難いし、仮に何らかの方法で従業員が見ることのできる場所に置かれてあったとしても、就業規則が作成されたことを全く知らされていない従業員がそれを見ることは期待できないのであるから、これをもって周知したということはできない。さらに、同証人は、柏谷について五〇歳ないし五五歳で退職の手続を取らなかったのは、リース制の賃金体系の下では、正社員と嘱託社員との間で給与に全く違いがなかったためであると証言する。しかしながら、右証言は、被告が平成三年四月一日から給与制の賃金体系に移行したにもかかわらず、当時満五六歳であった柏谷について直ちに嘱託雇用に移行していないこと(<証拠・人証略>によれば、柏谷が嘱託雇用とされたのは、平成四年四月一日からであったことが認められる。)と整合せず、信用できない。

3  以上によれば、新規則は、従来定年の定めがなかったにもかかわらず、新たに五五歳の定年を設けるものであって、労働条件を不利益に変更するものであるところ、原告がこれを承諾していないことは弁論の全趣旨から明らかであり、被告は、右変更の合理性について何ら主張立証しないから、原告について、五五歳の定年制を適用することは許されないというべきである。

したがって、原告は、平成八年一二月以降も被告の従業員(正社員)たる地位を有する。

二  争点2ついて

原告は、原告と被告との間で、フルトレーラーに最低五年間は乗務させる旨の契約が成立した旨主張し、原告本人がこれに沿う供述をする。しかしながら、そのような契約の成立を認めるに足りる客観的な証拠はないうえに、(人証略)の証言及び原告本人の供述によれば、フルトレーラー乗務は、被告においてフルトレーラー運行部門が存在することを前提としたものであること、原告は、被告からフルトレーラー乗務を依頼された際、五年間は乗務させてほしい旨述べたが、これは、五年後に柏谷に代わり市内便に移りたいとする原告の希望に過ぎず、必ずしもフルトレーラー乗務を受諾する条件としたわけではなかったことが認められるのであって、これらの事実に照らせば、木村が原告を無条件に五年間フルトレーラーに乗務させる旨の約束をするとは考えにくい。さらに、原告本人の供述も、木村が原告の希望に対し「納得した」というものに過ぎず、具体的な約束文言があった旨の供述をしているわけではない。これらを総合すれば、仮に木村が当時原告の希望を受け入れるような言動をしたとしても、それは、被告の業務上の支障が生じない限り原告の担当業務に関する希望を尊重する旨の事実上の表明に過ぎなかったというべきで、原告の主張するようなフルトレーラーに五年間乗務させる旨の契約の成立と評価すべきものではない。なお、フルトレーラー乗務に必要な免許は原告が費用を負担して取得したことが認められるが、原告本人の供述及び弁論の全趣旨によれば、その費用は五〇万円に満たなかったのに対し、フルトレーラー乗務によって原告が得る利益は月額約二五万円であることが認められるから、五年間の乗務の保障がなくとも、免許取得に応じることが不合理であるとまではいえないから、右事実は前記認定を左右するものではない。

したがって、争点2に関する原告の主張は理由がない。

三  争点3について

被告は、原告は、本件嘱託雇用契約に応じることにより、定年退職を承諾したと主張するが、原告本人によれば、これは、退職したものと取り扱われて賃金収入の途が断たれることを防ぐため、やむなく応じたものであることが認められるから、原告が本件嘱託雇用契約に応じたことをもって直ちに定年退職を承諾したものと解することはできない。

したがって、争点3に関する被告の主張は理由がない。

四  未払賃金について

以上によれば、原告は、平成九年一月以降、被告の従業員(正社員)としての賃金請求権を有するが、その月額給与の額は、嘱託雇用とされる直前三か月の原告の給与の平均額と解するのが相当であるところ、(証拠略)によれば、原告の平成八年一一月分の給与は、税金の還付によって高額となっていることが認められるから、結局、平成八年八月分から同年一〇月分までの給与の平均額を原告の月額給与と見るべきである。したがって、原告の月額給与は、四九万七三五三円(平成八年八月分)四七万三八七六円(同年九月分)及び四五万三三一一円(同年一〇月分)の平均である四七万四八四七円である(一円未満四捨五入)。

そして、(証拠略)によれば、原告が平成九年一月以降実際に受領した給与は別紙3<略>「嘱託社員としての給与」欄記載のとおりであることが認められるから、被告が原告に対し支払うべき未払給与は、同別紙「生じた差額」欄記載の各金員である。

五  結論

以上の次第であるから、原告の請求は、平成一三年までの従業員(正社員)としての地位の確認及び未払賃金の支払を求める部分に限り理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとする。

(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 谷口安史 裁判官 和田健)

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